プーシキン美術館所蔵浮世絵コレクション(18-19世紀)

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喜多川歌麿 (きたがわうたまろ)

燕岱斎、一窓主裡町斎、木燕

流派

石燕派

生没年

1754 - 1806

時代

江戸中期

活動拠点

江戸(東京)

武州川越の産にして、早く父を失ひ、少年時代に母と共に江戸に来りしものならむと云、夙に石燕に師事して出藍の譽れあり、画名を豊章といひしが、天明二年頃より歌麿と改めた。版元蔦屋重三郎方に寄寓せしこともある。彼が女性観は徹底的にして、些細の動作を写せしものにも無限の情調を漾はしむる所あり、正に「美人画の天才」の名実共に相備はれるものと謂ふべし。彼は、文化元年「太閤洛東五妻遊観」(三枚続)を画きて罪せられ、入牢及び手鎖の刑を受け、大いに心身に打撃を蒙りしにや、その後幾年ならずして遂に他界せり、法名、秋円了教信士、浅草北松山町なる専光寺(浄土宗)に葬る。

三保の松原途中

三保の松原途中

1790年頃

А-3642

子供を背負った女性

子供を背負った女性

1795年頃

А-3630

梅川と忠兵衛

梅川と忠兵衛

Около 1795 г.

А-3625

於鶴岡若宮静女飄舞袖.

於鶴岡若宮静女飄舞袖.

1797年

А. 31831-31833

油屋内お染か相

油屋内お染か相

1793 – 1799年頃

А-31849

鶴屋内在原

鶴屋内在原

1796–1799年頃

А-34014

陸奥

陸奥

1801–1804年頃

А-857

御殿山の花見

御殿山の花見

1805年

А-3646

養蚕業.

養蚕業.

1805

А. 3612-3614