歌川芳虎 (うたがわよしとら)
歌川を称す、永島氏、俗称辰五郎、一猛斎・錦朝楼と号す、国芳歿後十三回忌に当り、故ありて同門に却けられ、爾後別号を孟斎と改めしという。最も武者絵をよくし、俳優似顔の大首絵に傑作あり、明治維新後は風俗画を描きて大いに行はれたり、居所初め長谷川町、後ち中橋松川町、更に神田区鍛冶町六番地に移る。
歌川を称す、永島氏、俗称辰五郎、一猛斎・錦朝楼と号す、国芳歿後十三回忌に当り、故ありて同門に却けられ、爾後別号を孟斎と改めしという。最も武者絵をよくし、俳優似顔の大首絵に傑作あり、明治維新後は風俗画を描きて大いに行はれたり、居所初め長谷川町、後ち中橋松川町、更に神田区鍛冶町六番地に移る。