プーシキン美術館所蔵浮世絵コレクション(18-19世紀)

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歌川国芳 (うたがわくによし)

朝桜楼、一勇斎、柳燕

流派

歌川派

生没年

1797 - 1861

時代

後期 (1804-1867年)

活動拠点

江戸(東京)

歌川を称す、井草氏、俗称孫三郎、一勇斎・朝桜楼と号す、神田本銀町一丁目染物業柳屋吉右衛門の子にして、幼名を芳三郎といへり。幼時より深く絵本類を愛玩し、七八歳の頃重政の『絵本武者鞋』と政美の『諸職画鑑』とを見て初めて人物画を描く、其後十二歳の時「鍾馗の図」を描きしに、筆力秀勁にして恰も老成者の如き観ありしと云ふ。初代豊国曾て其の図を一見して彼の非凡なる画才を称揚し、遂に彼を門生の一人として薫陶することゝなれり、これ実に文化八年彼が十五歳の時の事なり。彼の作品は、凡そ文化十一年(十八歳)に発表せしものを以て最初と見るべく、それより年々錦絵及び草双紙類を画き、歿年当時に至るまで連続して夥しき数に上れり。彼れ素より凡匠には非ざれども、師豊国の存世中は師の盛名に圧倒せられ、且つ同派諸先輩の爲めに多少進路を妨げらるゝ所ありて、文化以後文政七八年頃までの彼は、未だ社會的に名声を贏ち得るには至らざりしが、文政十年の頃「水滸伝豪傑百八人」(面貌の変化は本所五ツ目の五百羅漢の木像を写して応用せしものなりとぞ)を出すに及んで、所期以上の好評を博し、それよりして世に「武者絵の国芳」と謳はれたり。爾後更に研鑽を重ねて、新たに風景画の方面に擡頭し、当時其の方面に名を得たる北斎・広重等と相並んで、各技倆を競ひし中に、彼の用ゐたる洋画風の手法は、在來の型と異りて、著しく清新の気に充ちたるものなりき、かの天保二年頃の作と思はるる「東都名所」(十図)及び同型の風景画(五図)は、即ち其の点に於ける代表的傑作なり。彼は其後洋画の手法を人物画にも応用し、嘉永年間には「唐土二十四孝」其他数図を作画せり。尚ほ彼の美人画、役者絵も亦優に一家を成すに足るものなりし事は、其の作品に照らして明かなるが、其他禽獣・魚蟲及び種々の戯画・手遊絵等に至るまで、取材頗る広汎にして、修技上に就ては、師豊国の外、先輩北斎に私淑し、一時は同門の国直が家に塾生の如く寄寓し、或は勝川春亭にも学ぶ所ありしものゝ如く、後に三代堤等琳(雪山)の門に入つて雪谷と号し、また柴田是真に教へを受けて仙真と号するなど、諸家の長所を巧みに取入れし外、当時の舶来に暗示を得て、所謂洋画風の特色ある作を試みるに至りしなり。彼が技法の上に今一つ特筆すべきは、其が画中の人物に於ける衣裳模樣の変化と、色彩の配合に巧みなる事にして、流石に染物業の家に成長せし彼の面目を窺ふに足れり。嘉永六年六月二十四日、兩国柳橋南河内屋の楼上に於て、梅屋鶴寿の書画會を催せし時、彼は己が着衣を脱ぎて墨に浸し、それを筆に代へて三十畳の渋紙に九紋龍史進の図を描きし由、其の後安政二年二月吉原岡本楼の主人より浅草観音に寄進せむが爲め、「一つ家の悪婆の図」の大絵馬を彼に揮毫せしめし事あり、今尚ほ該寺に保存さるゝ所にして、彼が筆力の非凡を知るに足るものなり。斯かる大作にも馴れし彼なりしが、年来の嗜好たる酒に厄されて、安政五年頃より中風症に悩み、揮毫意の如くならざりし爲め、或は門人等に代筆せしめし場合もありしが如し。それまでに新和泉町(俗称玄冶店(ゲンヤダナ))に居を定め、其処を最後として病歿せり。法名は深修院法山国芳信士といひ、浅草八軒寺町(現今高原町)日蓮宗大仙寺に葬りしが、墓石は往年墓地整理の爲め、府下千住飛地へ移されたり。また彼が歿後十三回忌辰にあたり、遺族及門下の人々等相謀つて、向島三囲稲荷の境内に一基の記念碑を建てたり、碑文は東條琴台の撰に係る。彼には二女あり、長子名は鳥といひ早世し、次子名は芳といひ田口其英を迎へて家を嗣ぐ、但し画系は伝へず。然れども門人芳虎・芳宗・芳幾・芳年等、よく師風を伝へ、且つ各々門下を養成せし中に、芳年の如きは殊に英才を出だして、明治、大正及び現代に至るまで、次々に画壇の一勢力たらしめし事は、国芳が指導方針の自由主義に胚胎するものと謂ふを得べし。

七夕

七夕

揃物 稚遊五節句の内

1840年頃

А-29482

端午

端午

揃物 稚遊五節句の内

1840年頃

А-29483

源頼光.

源頼光.

1820年

А-2601

岡本屋内・勝山

岡本屋内・勝山

1834–1835年頃

А-30549

品川の早月

品川の早月

年頃 1840

А-29618

狐の嫁入図

狐の嫁入図

1839–1840年頃

А-3927

菊見

菊見

1840年代

А-33745

政岡.

政岡.

1841–1842年頃

А-30551

神功后皇

神功后皇

1842年頃

А-34132

源頼光公舘土蜘作妖怪図

源頼光公舘土蜘作妖怪図

1843年

А. 29532–29534

午

揃物 美盾十二史

1845年

А-30023

卯

揃物 美盾十二史

1845年頃

А-30032

子

揃物 美盾十二史

1845年頃

А-30029