渓斎英泉 (きょうさいえいせん)
彼は江戸星ヶ岡に生れ、父は池田茂晴という・彼は幼年の頃狩野白珪斎の門に入りて画を学ぶ。英山の父菊川英二が家に寄寓して、初めて浮世絵を画くに至りき、又一時は、狂言作者篠田金治(二代目並木五瓶)の門人となりて千代田才市と称せしこともあり、あるいは土佐派に就て学ぶ所もありしと云う。当初の作品には「菊川英泉筆」としたる例あり、また文化五年頃の洒落本二三種の挿画に「渓斎小泉」と落款せる。彼の美人画にある実感が豊かだ。北斎と「木曾街道六十九次」を作った。
彼は江戸星ヶ岡に生れ、父は池田茂晴という・彼は幼年の頃狩野白珪斎の門に入りて画を学ぶ。英山の父菊川英二が家に寄寓して、初めて浮世絵を画くに至りき、又一時は、狂言作者篠田金治(二代目並木五瓶)の門人となりて千代田才市と称せしこともあり、あるいは土佐派に就て学ぶ所もありしと云う。当初の作品には「菊川英泉筆」としたる例あり、また文化五年頃の洒落本二三種の挿画に「渓斎小泉」と落款せる。彼の美人画にある実感が豊かだ。北斎と「木曾街道六十九次」を作った。