
浮世絵とは、江戸時代の町人の日常生活を描いた絵のことです。「浮世」という語は、昔の仏教用語の一つで、「はかない世」、「苦界」、「無常の世」という意味でした。十七世紀末、「浮世」という語は、喜びと楽しみに満ちたこの世、現世のことを意味するようになりました。日本の版画、浮世絵は、十八世紀末に開花しました。浮世絵の主人公は、遊女、役者、相撲取り、戯曲の登場人物、歴史上の英雄、つまり第三身分の代表者たちでした。そして各々に、次のようなそれぞれのジャンルが生まれました。すなわち、「遊郭」の美女の像、役者の肖像や歌舞伎の舞台の場面、神話や文学が主題の絵、歴史上の英雄の絵、有名な侍たちが戦う合戦の場面、風景画、そして花鳥画などです。
浮世絵連作《仮名手本忠臣蔵》は、同名の歌舞伎の演目と関連しています。無念の切腹を遂げた殿様の恨みを晴らそうとする四十七人の忠義の士が、浪々の身となり苦難を味わってもその志を捨てず、数年後に殿様の仇が主として住む大名屋敷に集結して襲撃し、仇の大名の首をあげて、亡き殿様の墓前に供えたという有名な史実に基づく話です。


この事件は1703年に起き、四十七士の復讐劇は、数多くの歌舞伎の舞台の題材になりました。しかしもっとも普及した戯曲は、戯作者、竹田出雲(たけだ いずも)、並木千柳(なみき せんりゅう)三好松洛(みよし しょうらく)らが1748年に書いた『仮名手本忠臣蔵』でした。江戸時代(1603–1867)の日本では、近い過去に起きた歴史的事件を描くことが非常に厳しく禁止されていたため、戯曲では事件の舞台は十七世紀の鎌倉時代に移されています。有名な主人公たちも全員、名前を少し変えられていますが、観衆がすぐに誰だか分かるように、本当の名前と非常に似通った名前にされています。
この戯曲は、喜多川歌麿、歌川豊国、歌川国芳、葛飾北斎、歌川広重ら、そうそうたる多数の絵師たちによって何度となく浮世絵に描かれました。絵師たちは各々、戯曲の筋や主題に注目したり、有名な場面を風刺的に作り変えたり、ときに背景の風景を強調したりして、自分のスタイルでテーマを解釈しています。